全国小学生クロスカントリーに出て

 

飯崎 翔太 

 

 ある日、監督から、大阪で全国小学生クロスカントリーリレー大会に上尾ジュニアが出場すると聞いて、僕は大変驚きました。 なぜなら、予選会がなかったのに全国大会に行けるのかなと驚きました。 夏の全国小学生陸上競技交流大会と違って、埼玉県は県陸協からの推薦で全国大会に行けることを知りました。

 その時から僕は、代表選手として選ばれるように、北本駅伝、上尾市陸上選手権大会などの大会で頑張りました。 そして候補選手の中から代表選手が発表される時、「代表選手になれたらいいな」と思いドキドキして発表されるのを待ちました。

 僕の名前が呼ばれ「やった! 代表選手だ!」と心の中で叫びました。

 代表選手になってからは、30分間走、インターバル走、丸山公園の坂を走るなど、厳しい練習に耐えましたが、なかなか記録が思うように伸びないので、土日のクラブの練習に加えて自主練習に取り組もうとした矢先に体調を崩してしまい、医者から「運動禁止!」と言われてしまい記録が、伸びないまま大会を迎えることになってしまいました。

 そして、ついにその日が来ました。  僕は、緊張と不安で倒れそうでした。 全国大会がどれだけ厳しいかを、今回の仲間以上に僕は知っていたからです。

 それは、5年生の時に100mで埼玉県代表選手として全国小学生陸上交流大会に出場し、予選敗退と言う屈辱を味わっていたからです。  「きっとあの時と同じように今回もみんな速いだろうな。」と思っていました。

 前日のミーティングでコーチからオーダーの発表があって友好レースに出場が決まりました。

 アップを終えて、友好レースの招集場所に行きました。 男子の前の女子友好レースが始まると僕の緊張は、頂点に達しました。

 そして、ついに僕の走る番が来ました。

 ピストルの音が、「バーン」と鳴り響きました。

 最初は前の方に行きましたが、だんだん落ちてきてしまいました。 しかし、ラスト100mは得意の短距離走で頑張りましたが、50人中31位、5分42秒といった二度目の屈辱を味合う結果になってしまいました。 でもリレーに出場したジュニアの仲間が14位と頑張ってくれたので、とてもうれしかった。

 今回の全国大会で、いろいろなことを学ぶことができなした。 この経験を中学の部活、ジュニアでの活動に活かしたいと思います。

 最後に監督、コーチの皆様今までありがとうございました。 これからも練習頑張ります。